今回は、ブラック企業から運良く?脱出した、私ユキヒデのお話しをします。真面目な人、気の弱い人、そして私のようなアホな人が一度入社したらなかなか抜け出せないブラック企業。会社選びの段階でそんな会社に入らないためにお話したいと思います。
ブラック企業あるある?
私は結局、「J社」というブラック企業に3年間勤務してしまいました。
「J社」という会社もひどかったですが、
メイン・クライアントの大手エステティックサロンの担当者たちもひどかった。
私はここで、パニック障害を発症、悪化させてしまいました。
私が入社してから2年と6ヶ月。
給与の遅延がはじまりました。
そして、とうとうある日社長が社員を集めて言ったのです。
この会社は○月○日に倒産する。同時に俺の自己破産もする。
だから、当日まで下請けやクライアントに言うんじゃねえぞ!
ブラックな企業の見分け方のポイントを紹介します。
ユキヒデは、なぜブラックな会社に入社してしまったのか?
転職の失敗をご覧ください。
転職を決意する。
当時30歳のユキヒデは、弱小広告代理店でコピーライター・制作管理をしておりました。
給与は手取り月20万円。消費者金融への借金250万円。
実家から通っていたのでなんとかなっていました。
そんなユキヒデが生意気にも結婚をしようと考え、会社を辞める決意をしたのです。
借金があるくせにです。アホなくせにです。
根拠のない自信をモリモリ持ったユキヒデは、とりあえず会社を退職し
その当時やっていたワールドカップを観戦するため一ヶ月何もしないと決めたのです。
アホ過ぎです。
涙の転職活動
ワールドカップが終わってから本格的に転職活動を開始。
狙いは広告制作会社一択。人生設計も、キャリア形成も、戦略も考えていません。
ただ年収アップだけを目的にしていました。
ユキヒデは、弱小とはいえ広告代理店で勤務していたので、様々な媒体で広告を制作していました。
・朝日新聞 見開き30段の広告制作
・雑誌広告 月刊誌の見開き2Pの広告制作(2年間レギュラーで掲載)
・有名リゾートのパンフレットのコピー
など。
多種多様な仕事をしてきたので、自信満々、意気揚々と自画自賛しながら転職活動をはじめました。
しかし・・・とことん面接で落とされました。
ゲームセンターのメダルゲームより気持ちよく落とされました。
え?10年も同じ会社にいたの?それやばくない?
当時の若い広告制作者は、およそ3年で一区切りし転職する人が多かった。
なので、10年も同じ会社にいる=向上心がないと思われていたのです。
ウチは20代前半の子が活躍してるんだけど、キミ30代だよね、一緒にやるの難しいでしょ。
大丈夫?キミは自信がなさそうだけど・・・
転職の軸もなく、面接で落とされ続けると、どんどん自信がなくなってきます。
強気になれないという性格もあいまって、何社か落ちると次の面接も「ここもダメだろ?」と
表情も暗くなっていきます。
今から考えたら、そんなヤツ誰が入社させる?ってくらいの弱腰でした。
祝?ブラック企業へ入社
弱腰人間のユキヒデが最終兵器として繰り出したのが「どこでもいいから入社したい!」です。
とても危険な兵器で負のループしか起こりません。
で、求人誌にいつでも載っていた会社に応募します。
そこが「J社」でした。
面接に行ったら挨拶もそこそこ
で、いくら欲しいの?で、いつから来れるの?
んじゃ、来週から来て。
これでおしまいです。これでユキヒデの広告制作者としての人生もほぼ、おしまいです。
「J社」での日々
入社していきなり、大手家具メーカーの商品カタログのディレクション・制作進行を任されました。
200ページくらいのカタログで納期まで2ヶ月。
ユキヒデとしては、はじめての業種のクライアントで、200ページというボリュームのカタログも初めての経験です。(前任者は鬱病で休業中。まぁ、だからユキヒデを慌てて入社させたのですね)
そこへ、バカ社長がさらに重圧をかけてきます。
ユキヒデ君は、インテリアのことを熟知してるディレクターってことになってるから
よろしくね。
結局、入社早々、インテリアの勉強をしながら、カタログの制作を徹夜でし、
日中は、大手エステティックサロンのセールス・プロモーションツールのコピーを書くという
地獄の日々でした。
こんな地獄の日々が続くと次第に自分の視界も狭くなります。
この「J社」で評価されなければ自分はダメ人間だ。
くらい視界が狭まってしまいました。
そうです。この「J社」がユキヒデにとっての世界になっていたのです。
結局ユキヒデは、突如、朝ベッドから起き上がれなくなったり、起きて出社しても
嗚咽が止まらなくなったり、最後にはパニック障害を発症するまでになってしまいました。
そして、ボロボロになりながら2年が過ぎたある日社長が言ったのです。
ユキヒデ君、この会社の取締役にならない?
経営状況が悪化する中の発言に恐怖を覚えました。
すぐに断ると、1カ月後社長は言ったのです。
ユキヒデ君さ、消費者金融からお金を借りて、会社に入れてくんない?
ユキヒデにはもともと借金があり、「J社」入社時に任意整理していました。
消費者金融から借り入れなんて無理だろうと思いながらも、申し込む。
(今思うと、なぜ会社のために借金を申し込むのか・・・。それだけ正常な思考を失っていたんだと思う・・・ただ恐ろしい)
やはり、お金を借りることはできませんでした。
そうです。ブラック企業で働くユキヒデはブラックリストに載る男だったのです。
さらば「J社」
そして、とうとうある日社長が社員を集めて言ったのです。
この会社は○月○日に倒産する。同時に俺の自己破産もする。
だから、当日まで下請けやクライアントに言うんじゃねえぞ!
さらなる重圧をかけられたユキヒデは、この日以降、
クライアントや協力会社とスケジュールの話をすると、突然声が出なくなるという
謎の症状に悩まされました。
クライアントとの電話の途中で、声が出なくなり電話を切ったことも何度かありました。
倒産発表の二日前、ユキヒデは社長に呼び出される。
俺さ、次の働き場所はも言う決まっててさ、
ある会社の事業部を任されることになってんだよね。
ユキヒデ君も一緒に来ない?
ユキヒデも含め社員はみんな転職活動もできぬまま、働いていました。
なので、提案をしました。
僕はいいので、他のスタッフを連れてってください。
社長は嫌な顔をしながら
あいつらは、ダメだ。
なら、僕も行きません。
そう告げて、その場から立ち去りました。
これで、「J社」と別れられる。
しかし、翌日、倒産発表1日前。
あれ、あれ?携帯電話がない。
あれ?落としちゃった。
社長の芝居じみた言葉が社内に響きます。
ユキヒデは、その時「アホか!○んでまえ!」と心の中で叫んでました。
数日後、アホなのは自分の方だと思い知らされる。
そう、社長の携帯がつながらないため、問い合わせは、全部私の携帯に来たのです。
協力会社、クライアント、各方面から電話が鳴り止まないのです。
(でも、そのほとんどが社長への悪口で終わったのですが・・・)
ブラック企業脱出?の後日談
結局、ユキヒデは過度なストレスでパニック障害を悪化させてしまいました。
倒産から一ヶ月位は、近くのコンビニへ行くのも恐怖でした。
一ヶ月過ぎたあたりから、行動範囲は少しづつ広がりましたが、
電車はやはり怖かった。
なので、再就職先は徒歩で行ける範囲の会社を選びました。
まとめ
結局このことは、アホなユキヒデが招いた災難です。
何も考えず退職したこと、転職の軸も持たず転職活動したこと、
どんな会社か調べもせず「J社」に入社したこと。
どれを取ってもアホすぎます。
ユキヒデは皆さんにそんな経験をしてほしくないので
ブログを書き続けています。
転職は人生を変えるチャンスです。
成功へ導く鍵は、情報とブレない転職の軸という思考。
転職エージェントを味方につけて、信頼できる知り合いから情報を集めて
どんどんチャレンジしてください。
たとえそこがブラックな企業だったとしても情報と思考を持っていれば、
すぐに抜け出せ新たなるチャレンジができるはずです。